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3月になってしまった。もっと早く書き始めるはずだったのに、なんだかんだ面倒くさがって後回しにしていた。誰に頼まれて書いているわけではないので、面倒なら止めたってかまわないのだけども。それでも書こうとする理由は何なのか?まあ、やり始めたことだし。勝手に始めて、それも決してただ楽しいだけでもないのにやり続けようとする、その理由は何なのか?実は自分でもよくわからず。よくわからないからこそ続けようという気になるのかもしれない。"わかること"よりも"わからないこと"に惹かれる。"わからないこと"をわかりたいというより、"わからないこと"の中でわかったふりしたり、わからないとつぶやいたり、わからないからいいやと諦めたり、そんな状態でいることに惹かれる。ここまで一息に書くと、そろそろ書いている自分に酔うというのか、自分を見失って書く勢いに任せて思いもしていないことを書き始めてしまう。この辺で止めておくのがよいかなと。
- 2024年の映画初め、慎重にその年の一本目を選び抜くといったことはせずに、たまたま時間が空いて、自宅から近い場所で上映していたという理由で『トーク・トゥ・ミー』を観に行く。映画はこれくらい気楽な感じで観に行くのがいいんじゃないか。『トーク・トゥ・ミー』自体もそんな感じで観に行くのにちょうどよい作品。若者たちが降霊遊びに興じているうちにエスカレートして霊からしっぺ返しを喰らう。責任のない若者たちが羽目を外して痛い目を見る、スラッシャー映画の王道パターンが心地よい。本作は別にスラッシャー映画ではないけど。ヒロインが霊と対峙して打ち勝つわけじゃなく、むしろ霊に取り込まれてしまうところに捻りがある。バッドエンドなわけだけど、霊、それも漠然とした霊全体(?)を敵に回して果たして勝つ見込みがあるかといったらないわけで、このラストは自然かと。観ているその時は楽しんで、観終わった後はだいたい忘れてしまう。それって悪いことではないと思う。
- 『映画はねむい』である。このタイトルを思いついて、ブログに書くようになって1年が経つ。あらためてタイトルはなかなか気に入っている。書いていることは大して面白くはないが。そのうちこなれて少しずつ面白くなっていくように思っていたけども、むしろ逆に段々と面白くなくなってきているように思う。なぜ面白くないと思うのか?まだまだ自身の本心に迫ってないからなんじゃないか。文章を書くなら上手い下手よりも、まずもって自身に誠実に書きたいと考えているわけだが、どうも取り繕ってる感がある。センス良さげに見せたい、知らないけど知ってる風に見せたい、ちょっと変わった視点で物事を見ている感を出したい。でもこれ見よがしでなく、あくまでも謙虚に。書いてるだけならまだしも、わざわざ書いたものを見せるとなるとこういう自意識がムクムクと立ち上がってきて煩わしい。
- 話題作、ヨルゴス・ランティモス監督、エマ・ストーン主演『哀れなるものたち』を今年の映画館鑑賞2本目に。ランティモスは『籠の中の乙女』、『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』、『女王陛下のお気に入り』とそこそこ観ている。細かいことは覚えてないけど、いずれも挑発的な変態性みたいなとこが味。本作もその味はしっかり残しつつ、予算が潤沢なせいなのか、世界観を表現するのに必要なのか、ファンタジー大作味が全体をコーティングしている。これはネタバレになるのか、まあ解釈は人それぞれなのでネタバレとは言えないんじゃないかとも思うので書くが、人工的に生まれた生命体=ベラ=AIが見た、または思い描いた世界ということで、どこか非現実的なカラフルでファンタジー味のある世界が表現されてるのだろうと。いや、もっと詳細に見たら、ベラ=AIが知識を獲得するに従って世界は色づき、広がっていくような演出だったかもしれない。本作はベラ=AIが見聞を広め、知識や言葉を獲得し成長していく、いわばビルドゥングスロマンのつくりなんだけど、変態っぽいディテール(ウィレム・デフォー演じる外科医が消化を助ける器具を体に取り付けてたり)を除くと案外真っ当でそれほど乗れない。ただ、ラスト、これは大いにネタバレかもしれないけど、ベラ=AIが思い描いたところのハッピーエンドたる楽園のイメージがあまりにグロテスクで、AIに未来を委ねることの危うさを強烈に皮肉っていて、これにはニヤリとしてしまう。ランティモス作品の中では一番わかりやすく、見やすい作品だった分、なんか物足りなさも。
- 月に2回通学している美学校の特殊漫画家前衛の道クラス(講師:根本敬)で、毎回根本先生のチョイスで映画やドラマ、お宝映像などを視聴している。新年一発目の授業では、能登半島地震の話題に始まり、石川県出身の根本先生の知人の話から、その後どういう繋がりでだったか、繋がりがあったかどうかも忘れてしまったが、『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』を視聴する。安藤昇については元ヤクザの親分でその後俳優に転じ芸能活動をしていたというくらいの予備知識はあったものの、それ以上のことはよく知らない。俳優としての仕事も全く観たことがない。活発に芸能活動していたのが60〜70年代なのでリアルタイムではほぼ知らない。元ヤクザの親分で、服役経験もあるにもかかわらず、映画の主演を張ったり、歌手としてレコードも出したりしていて、おおらかな時代だったのだなと。犯罪者=アウトローという属性が、まだ個性として受け入れられていたということか。映画は安藤昇自身が首謀した横井英樹銃撃事件を元にした実話ベースなのだが、タイトルからもわかるようにエクスプロイテーション映画寄りのカルト作に仕上がっている。警察の手から逃れるために愛人宅を転々とし、愛人とセックスに耽る。生活感のある部屋で汗まみれになって絡む男女。女は喘いで男にきつく抱きつき、男はニヒルにゆっくり腰を振る。ムンムンと立ち上る昭和臭。愛人を演じる女優たちが一様に幸薄そうな雰囲気なのもまたよい。情事の最中に警察に踏み込まれ、射精未遂で連行された安藤昇が、パトカーの中で自慰にてついに達した後の一言、「天皇になった気分だぜ」が名言すぎる。同じ事件を扱い、やっぱり安藤昇主演で撮られた『実録・安藤組襲撃篇』の方は、ずっと実録路線で、ちゃんと警察との攻防がサスペンスフルに描かれていて、娯楽作として楽しめる。自身の起こした事件についての硬軟2本の映画に自ら主演してしまう安藤昇のエンターテイナーとしての魅力ったら!60~70年代のおおらかさ、いかがわしさ、いい加減さが今すごく必要な気がしてる。
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