映画はねむい 2023年8月

 「映画ねむい」どころかここのところいつでも眠い。通勤の電車でシートに座ると途端に眠気に襲われる。眠気はリラックスした姿勢を見逃さない。そこそこやわらかいシートに腰掛けて背もたれに背をあずけてTwitter(Xか)かkindle unlimitedか日経のアプリを開くより先に襲ってくる眠気。日中は眠い、夕食後は眠い、平日は眠い、休日は眠い、つまりいつでも眠いので「映画はねむい」とはなかなか言えないのではと。


 最近映画館になかなか足が運べないのは、平日はもとより会社勤めで時間がつくりにくいのだけども、週末は自治会の役員の仕事があったり、美学校の課題制作の時間にあてたりという理由による。それでもかろうじて話題作を映画館に観に行く。7月に『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(以下『I・Jと運命のダイヤル』)』。あと8月は公開直後に『バービー』を。


 『I・Jと運命のダイヤル』は、あんまりいろいろとシリーズの何かを回収したり、後付けで過去のあれは伏線でしたみたいなこともせず、ドラマも大仰じゃなく、その場その時楽しければいい冒険活劇になってて素直に楽しむ。マリオンとの老いらくの恋というか元鞘的な展開も、取ってつけたようなところがかえってちょうどよい。最近ますます強く思うのだけども、映画におけるストーリーはそんなに重要じゃない。自分にとっては。ストーリーなんて破綻してるほうが感動的ですらあるような。『I・Jと運命のダイヤル』だって、あのラストのタイムスリップのでたらめさがいい。古代ローマで骨を埋めようと突然思いつくようなインディが素敵じゃないかと。


 『バービー』、もう少しカラッとした陽気なコメディ色が強いイメージでいたけども、かなりブラックで内省を促すつくりになってて子ども向きではない。マチスモやフェミニズムやダイバーシティといた2020年代的な社会的テーマを扱いつつそこを超えて、男も女も誰しもがロールプレイングな生き方に甘んじている(甘んじてしまう)ことを白日の下に晒す。これまで幸福だったとして、もしくは不幸だったとしても、未来はどうなるかわからない。各々が各々なりに等身大で生きていったらいいんじゃないか、と最後はポジティブに締めくくる。ちょっとメッセージが勝ってるようなきらいはあるけど、これは2020年代を代表する映画になるんだろうなと。こういう可もなく不可もない感想になってしまうのは、作品のせいか自身の力量のせいか。まあ後者なんだろうけども、なんかこの感想言いづらい感じをも少し突っ込んでいくのが重要な気もする。


 ハリウッドでは5月に始まった全米脚本家組合のストライキに続いて、7月に入って俳優の組合(SAG-AFTRA)もストライキに突入。エンターテイメントの変わり目。焦点はふたつ、作品の二次使用による報酬についてとAIの活用について。前者について思うことあり、いつでも家で、なんならスマホで通勤通学の間でも観たい作品を観られるサブスクを、ただありがたがってる訳にもいかないなと。傍観しててよいのか。毎月固定の料金支払えば、あとはあらゆる作品が見放題(もちろんそこには含まれない数多の作品が他にもあるけれど)で、作品ひとつひとつへのリスペクトが薄まってしまったような。作品はただのコンテンツになってしまった。食べ放題みたいな感覚で、支払った料金の元をとるようにしてコンテンツを消化する。そんな視聴スタイルになってきてはいないかと自省。


 とはいえサブスクはなかなかありがたく、アマプラの東映オンデマンドを最近はよく活用している。千葉真一主演のアクションや実録ヤクザもの、東映ポルノ、石井輝男のエログロものなど、血湧き肉躍るというのか映画とはショックであると言わんばかりのエクスプロイテーション魂を感じる作品群。ポリコレ的に観ることが今後難しくなってしまいそうなこうした作品を、観られなくなる前に観ておきたい気もあり。最近続けて観たのが、牧口雄二監督作品で『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』『玉割り人ゆき』『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』『らしゃめん』と。『徳川女刑罰絵巻〜』がとにかく強烈。オムニバスのつくりで1本目は拷問好きな殿様のやりたい放題が、2本目は女郎屋を舞台に足抜けした娼妓への容赦ない拷問が描かれる。信賞必罰の世界じゃなく最後まで救いがなく不条理のまま終わるのもなんともスカッとせず素晴らしい=ひどい!

 

 牧口雄二はただエログロに特徴のあるカルト監督でもなく、といって不勉強でこれまでまったく作品を観てこなかったくせに、ここ最近まとめて観た中で一番グッときたのは監督デビュー作の『玉割り人ゆき』。「玉割り人」とは、娼妓にセックスの技を仕込むお師匠さんのことで、実際にそういう生業の人がいたかどうかはわからない。ゆきは処女に性技を教えたり、娼妓のランク付け(愛液を溢れさせてその量や質で特級・一級・二級などを決める)をしたり、さらには足抜けした娼妓と彼女を唆した男を拷問したり(男の局部を切断!)までこなす。こうしたエログロも見所だけども、そんなアウトサイダーのゆきが無政府主義者というこちらもアウトサイダーの男にほのかに恋情を寄せ、報われぬ恋が抒情的に描かれるというのがなんとも独特の味わい。東映オンデマンドで牧口監督作はほぼ観られるみたいなので、他のもゆっくり観ていこうかと。

 

 『玉割り人ゆき』は京都島原が舞台で、続編の『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』は金沢の花街が舞台。ちょうど先日家族旅行で金沢へ行き観光名所となっているひがし茶屋街をぶらぶら、「西の廓」のにし茶屋街までは足を伸ばせなかった。家族旅行だと身勝手な行動もできず。ひがし茶屋街には芸妓が多く、にし茶屋街には娼妓が多かったらしいが(芸妓は芸を売り物にし、娼妓は身体を売り物にする)、現在の雰囲気はどうなんだろうか?何かしら名残はあったのだろうか?実際に見比べられず残念。歌舞伎町のような歓楽街が200年後には家族で訪れることができる観光名所になっている。まあ誰かしらがお金を落とす場所であることには変わらないとも言えるのかと。夕飯食べられる店を探して片町の裏通り木倉町通りをさまよったけども、この通りにも観光客はぶらぶらしていたものの昼のひがし茶屋街に比べれば、夜の木倉町通りのほうが雑然としていてよい雰囲気。なんとなしに入った普通の居酒屋で生ビールと金沢おでんのセットを飲み食いして、ホテルに戻ればもう眠い。